関東大震災100年 with KAGAWA

賀川豊彦と
 関東大震災

「関東大震災100年事業 賀川豊彦とボランティア」実行委員会について

今年2023年は、関東大震災から100年を迎えます。当時神戸で活動していた賀川豊彦は、関東大震災の知らせを聞くと、すぐに東京へと向かい、現地の惨状を実際に目で見てからその対応を始めました。関西、四国、九州にまで出かけて義捐金や布団、材木を集めて東京へ送りました。また10月には東京の本所へと移り住み、若きボランティアたちとともに、セツルメント活動を開始しました。住む場所を失った人へバラックを提供し、児童の一時預かり所を開設し、また悲嘆にくれる人々への傾聴活動などを行いました。
やがて、賀川たちの活動はボランティアから、社会事業へと発展して、消費組合、信用組合、家政学校、寮の運営、さらに組合病院を設立に至ります。
この度、これらの賀川の活動を振り返り、今日の私たちが平時から災害などの時に備えるため、多様なつながりを結びあう機会とするために、実行委員会を結成しました。是非趣意書をご覧頂き、また各種のコンテンツの視聴、およびイベントへのご参加をお待ちしております。

趣意書

最新情報


「関東大震災100年事業 賀川豊彦とボランティア」は、お陰様で今月をもって全て終了致しました。ご支援・ご協力をありがとうございました。
尚、報告書を公開致しますのでよろしければご覧下さい。

ダウンロードはこちら

「関東大震災100年事業 賀川豊彦とボランティア」事務局

 

「関東大震災100年事業 賀川豊彦とボランティア」実行委員会主催 第三回シンポジウム

当日の動画と写真はこちらよりご覧下さい。

当日配布資料
チラシ

    

 

お詫びと訂正のお知らせ

この度刊行されました『賀川豊彦と考えるボランティア』におきまして、誤りがございました。
お詫びして訂正させて頂きます。

 

【終了しました】― 関東大震災100年事業 賀川豊彦とボランティア関連企画 ―
協同組合連携企画「たすけあい、ボランティア、働くを考える集い」ご案内 参加無料

当日の動画と写真はこちらよりご覧下さい。

※2/3の第二回シンポジウムへご参加できなかった方向けに、
『医師中村哲 仕事働くということ』追加上映会(無料)を3/23に開催します。
詳しくは以下まで。
上映会のお知らせはこちらから

 

ビデオ「小島よしおと学ぶ ボランティアの父賀川豊彦」が公開されました。下記よりご覧ください。

 

玉岡かおる氏講演会
去る9月2日(土)日本基督教団銀座教会にて開催された、特別展関連講演会の動画を配信致します。期間限定ですので是非ご覧下さい。
https://youtu.be/EF94fKRQn8Q

 

【終了しました】賀川豊彦とボランティア 第一回シンポジウム

当日の動画と写真はこちらよりご覧下さい。

お知らせ

2023/10/13
Good Jov TV にて、関東大震災と賀川豊彦が放映されました。
2023/10/11
NHKアーカイブズ 災害特集に賀川の記事が掲載されました。
2023/10/02
キックオフ集会での、共同実行委員長および顧問からのスピーチ動画を掲載しました。
2023/09/13
防災街歩きを開催しました。
2023/09/04
関東大震災100年事業 賀川豊彦とボランティア 関連企画
パネル展 賀川豊彦と関東大震災~ボランティアの始まり~のお知らせ
2023/08
ネットワーク 385号(2023年8月号)で関東大震災が特集されました。ダウンロードして読めます。
2023/08/31
キックオフ集会が開催されました。
2023/08/30
サイトを開設しました

賀川豊彦について

スラム街での救貧事業からはじまり、労働組合、農民組合、協同組合、平和運動、そして日本初のミリオンセラー作家…
幅広い賀川の活動を貫いたのは隣人愛に基づく、助け合いの精神と行動でした。
賀川豊彦は若き日、神戸のスラムに身を投じて貧しい人々の救済に専念しました。壮年時代には、労働組合運動、農民運動、協同組合運動、無産政党樹立運動に献身し、関東大震災が発生するや、東京にて、罹災者救済やセルツメント事業に力を尽くしました。 また生涯を通じて日本と世界にキリスト教の伝道を行い、戦後は伝道と著作のかたわら世界連邦運動を提唱、指導しました。
これらの諸活動を継続する間に宗教、哲学、経済、社会、文明批評、随筆、小説等の作品を多数発表しました。それらは、彼の死後「賀川豊彦全集」全24 巻として刊行されています。 彼の事業は関西、関東を始め全国に亘り数多くの同志を組織して行われ、その運動は広範な規模において展開されました。

震災ボランティアの先駆者
賀川豊彦

関東大震災と賀川豊彦の紹介、日本のボランティア史についてなど、 参考資料も合わせてご覧いただけます。

「関東大震災100年事業 賀川豊彦とボランティア」実行委員会制作アニメーション
「震災ボランティアの先駆者 賀川豊彦」

賀川豊彦年表

年齢 月日 事項 関係事項
西暦 和暦
1888 明治21 7月10 賀川純一(40歳)と徳島の芸者、菅生かめの二男として神戸市兵庫島上町108番屋敷で誕生 
1989 明治22    大日本帝国憲法発布
1892 明治25 11 父 純一 赤痢で死す(没44歳) 
1893 明治26 1月 実母 菅生かめ 死す 
1893 明治26 1月 姉 栄と共に徳島の本家にひきとられる 
1893 明治26 4月 徳島県板野郡堀江村第二堀江尋常小学校に入学 
1900 明治33 12 4月 県立徳島中学校に入学し、寄宿舎にはいる 
1901 明治34 13   胸部疾患の診断をうけるキリスト教徒を中心として「社会民主党」結党、即日結社禁止
1901 明治34 13    大挙伝道開始され、キリスト教の教勢ようやく振う
1902 明治35 14   宣教師C・A・ローガンに英語を学ぶ 
1903 明治36 15 4月 賀川家破産、叔父 森六兵衛の家に移る幸徳秋水、堺枯川、内村鑑三、非戦論を唱えて万朝報社を退社、幸徳、堺、平民社を組織『平民新聞』を発刊
藤村操、人生問題に悩み自殺、この頃から個人主義の風潮広まる
1904 明治37 16 2月21 宣教師H・W・マヤス博士より洗礼を受ける 
1904 明治37 16   安部磯雄、木下尚江の著作を読み、キリスト教社会主義に共感を覚える 
1905 明治38 17 3月 徳島中学校を卒業する木下尚江、石川三四郎らキリスト教社会主義の機関紙『新紀元』創刊
1905 明治38 17 4月 明治学院高等部神学予科に入学する 
1907 明治40 19 3月 神戸神学校新設により転校をきめ、9月開校まで愛知県岡崎教会、豊橋教会で伝道を手伝う社会主義者合同して日刊「平民新聞」創刊
1907 明治40 19 8月 路傍伝道を続け、41日目発熱喀血し危篤となる 
1907 明治40 19 9月 喀血甚しく4か月入院する 
1908 明治41 20 1月 三河の蒲郡、府相で9か月保養する。『鳩の真似』(後の『死線を越えて』)の執筆をはじめる 
1908 明治41 20 10 神戸神学校に復校 
1908 明治41 20 11 結核性痔瘻の手術を京都帝国大病院で受ける 
1909 明治42 21   苦悩の日々続く 
1909 明治42 21 9月 神戸葺合新川で路傍伝道を始める 
1909 明治42 21 1224 貧民窟(神戸市葺合区北本町6丁目221番地)に入る 
1910 明治43 22    大逆事件おこる
1911 明治44 23 4月 日本基督教会より伝道師の准允を受く 
1911 明治44 23 6月 神戸神学校卒業 
1912 明治45
大正1年
24 11 貧民窟内に一膳飯屋『天国屋』を開業神仏基三教会同
鈴木文治ら労働組合友愛会組織
1913 大正2年 25 4月 和歌山市で開催の日本基督教会浪速中会で教師試験に合格 
1913 大正2年 25 5月27 神戸日本基督教会で芝はる(25歳)と結婚 
1913 大正2年 25 12 『基督伝論争史』を出版(福音舎) 
1914 大正3年 26 8月 プリンストン大学及びプリンストン神学校へ入学のため丹波丸で神戸出帆第一次世界大戦勃発
全国協同伝道始まる(~大正6年)
1914 大正3年 26 9月 夫人はる横浜の共立女子神学校に入学 
1915 大正4年 27   実験心理学の論文でプリンストン大学よりM・Aのクレジットを受く 
1915 大正4年 27 11 『貧民心理の研究』を警醒社より出版 
1916 大正5年 28 5月 プリンストン神学校よりB・Dの学位をうける吉野作造、民本主義提唱、これより「大正デモクラシー」運動おこる
1916 大正5年 28 8月 ニューヨークの貧民窟を視察、労働者の示威運動を見て日本における労働組合の設立を思う 
1916 大正5年 28 10 帰国の旅費かせぎのためにユタ州オグデンの日本人会の書記に就職する 
1917 大正6年 29 3月 雇主の横暴に抗し、日本人農夫とモルモン教徒との小作人組合を作り、争議を起こし勝利ロシア革命勃発、十月革命で共産政権樹立
友愛会神戸連合会・大阪連合会が組織される
1917 大正6年 29 5月 横浜に上陸、神戸新川に帰る 
1917 大正6年 29 6月 夫人はる、共立女子神学校を卒業 
1917 大正6年 29 6月 神戸貧民窟で無料巡回診療をはじめる 
1917 大正6年 29 10 友愛会神戸連合会評議員となる 
1917 大正6年 29 11 日暮通6丁目に貧民窟授産事業として歯ブラシ工場設立 
1918 大正7年 30 4月 友愛会創立6周年大会当夜の社会政策講演会で講演7月~8月 米騒動全国におこる
吉野作造ら「黎明会」結成
東大学生ら新人会を組織
内村鑑三、中田重治、木村清松ら再臨運動開始
1918 大正7年 30 5月 友愛会葺合支部長に推薦される 
1918 大正7年 30 8月 神戸連合会機関紙『新神戸』の発刊を計画、促進し、その編集顧問となる 
1919 大正8年 31 3月 大阪中ノ島公会堂における治安警察法第十七条撤廃大演説会で講演全国に普選運動起る
友愛会8月の七周年大会で大日本労働総同盟友愛会と改称、労働運動の中核体としての組織を確立する
1919 大正8年 31 3月 『新神戸』を関西の労働運動の機関紙とするため『労働者新聞』に改題、その発行人となる 
1919 大正8年 31 4月 日本基督教会より教師の按手礼を受く 
1919 大正8年 31 4月 鈴木文治、久留弘三らと友愛会関西労働同盟会を結成、理事長となる 
1919 大正8年 31 8月 改組された大日本労働総同盟友愛会の中央委員となる 
1919 大正8年 31 6月 『精神運動と社会運動』を警醒社より出版 
1919 大正8年 31 11 『涙の二等分』を福永書店より出版 
1919 大正8年 31 11 『労働者崇拝論』を福永書店より出版、発売禁止となる 
1920 大正9年 32 1月~2月 大阪市で普選大示威運動上野公園で日本最初のメーデー奉行(5月)
戦後恐慌おこる
1920 大正9年 32 5月 大阪伸銅工組合新進会組合長に推さる 
1920 大正9年 32 6月 大阪印刷工革新同志会会長に推さる 
1920 大正9年 32 8月 中国(上海付近)に講演旅行 
1920 大正9年 32 8月 大阪市に有限責任購買組合共益社を設立、理事となる 
1920 大正9年 32 10 有限責任神戸購買組合を創設し、理事となる 
1920 大正9年 32 10 大阪天王寺公会堂における友愛会八周年大会で関東派と関西派の対立激化する 
1920 大正9年 32 12 播磨造船労働組合結成、組合長となる 
1920 大正9年 32 4月 『人間苦と人間建築』を警醒社より出版 
1920 大正9年 32 6月 『主観経済の原理』を福永書店より出版 
1920 大正9年 32 10 『死線を越えて』を改造社より出版 
1920 大正9年 32 10 『地殻を破って』を福永書店より出版 
1921 大正10 33 6月 大阪連合会より藤永田造船争議について団体交渉権問題で知事、造船所長に決議文を送り賀川は会社側と折衝日本労働総同盟友愛会を日本労働総同盟と改称
労働運動におけるサンジカリズムの勢力が増大する
1921 大正10 33 6月 住友電線及び製鋼両工場の争議応援の先頭に立つ 
1921 大正10 33 6月 川崎・三菱造船所に争議おこり、実行委員となる 
1921 大正10 33 7月4日 神戸湊川勧業館において神戸労働組合連合大会を開催、『労働組合の確認を要求す』を決議、交渉委員に推される 
1921 大正10 33 7月18 川崎、三菱造船争議激化し争議戦術に関し賀川は『工場管理について』を発表 
1921 大正10 33 7月29 川崎争議団1万3千人、賀川を先頭に示威運動、川崎造船所前で警官と衝突、負傷者出る、同夜川崎争議団本部、神戸友愛会本部警官隊に襲われ、賀川以下幹部検束される 
1921 大正10 33 8月10 証拠不十分として午後9時20分、橘分監裏門より出される 
1921 大正10 33 10月3日 友愛会創立十年記念大会東京に開かれ中央委員となる 
1921 大正10 33 10月5日 奈良菊水楼で日本基督教会教職者会を開催、『イエスの友会』を結成 
1921 大正10 33 1017 日本農民組合を杉山元治郎、村島帰之、小川渙三らと結成 
1921 大正10 33 6月 『自由組合論』を警醒社より出版 
1921 大正10 33 12 『イエスの宗教とその真理』を警醒社より出版 
1922 大正11 34 1月 イエスの友会の機関誌『雲の柱』発刊、事実上賀川の個人雑誌となる水平社結成
日本共産党結成
全国基督教協議会開かれ基督教連盟設立決定
1922 大正11 34 1月 日本農民組合機関誌『土地と自由』を創刊 
1922 大正11 34 2月 夫人はるを同伴、台湾に伝道 
1922 大正11 34 3月 新川で暴徒に襲われ、前歯2本を折る 
1922 大正11 34 4月9日 神戸YMCAで農民組合創立大会開く 
1922 大正11 34 6月1日 大阪市安治川基督教会で大阪労働学校を開校、校長となる 
1922 大正11 34 8月 国際労働会議の代表者に選出されたが辞退 
1922 大正11 34 12 長男純基生まれる 
1922 大正11 34 5月 『星より星への通路』を改造社より出版 
1922 大正11 34 11 『生存競争の哲学』を改造社より出版 
1923 大正12 35 1月 水平社の依頼で全国講演関東大震災(9月1日)
大杉栄 甘粕憲兵大尉に殺さる
日本基督教連盟成立
1923 大正12 35 1月 トラホーム悪化 
1923 大正12 35 4月 眼病悪化し大阪北浜の有沢眼科病院に入院 
1923 大正12 35 8月25日~29 御殿場東山荘でイエスの友会第一回修養会を開催 
1923 大正12 35 9月4日 関東大震災救援のため山城丸で横浜に上陸する 
1923 大正12 35 10 東京市本所区松倉町にテントを張り救済運動をはじめ、本所基督教青年会を設立 
1923 大正12 35 10 家族全員本所松倉町に移住 
1923 大正12 35 5月 『イエスと人類愛の内容』を警醒社より出版 
1924 大正13 36 3月 眼病悪化 急性腎臓炎を患う小作調停法成立
高倉徳太郎帰朝、弁証法神学を紹介
1924 大正13 36 4月 東京市外松沢村に移住 
1924 大正13 36 6月 政治研究会設立され執行委員となる 
1924 大正13 36 11 全アメリカ大学連盟の招きをうけ横浜より乗船渡米、イギリス、フランス、デンマーク等を経て、聖地を巡礼、八カ月の旅を終わり翌1925年7月 神戸に帰る 
1924 大正13 36 2月 『苦難に対する態度』を警醒社より出版 
1924 大正13 36 12 『壁の声きく時』を改造社より出版 
1925 大正14 37 6月10 日本救癩教会(日本MTL)設立治安維持法、普通選挙法成立公布
農民労働党結成、即日解散
総同盟分裂し、左派は日本労働組合評議会結成
1925 大正14 37 7月30 東山荘でイエスの友会第三回修養会開催、『百万の霊を神に捧ぐ』を決議 
1926 大正15
昭和元年
38 2月 大阪紡織労組発会、組合長となる日本農民組合中心となり3月労働農民党を結成、左右の対立激化し年末には左派優勢となる
右派分裂し社会民衆党を結成(12月)
中間派 日本労働党を結成(12月)
新潟県木崎村で小学校児童盟休事件
1926 大正15
昭和元年
38 3月 大阪YMCAで労働農民党結成、中央執行委員となる 
1926 大正15
昭和元年
38 3月 鳥取県米子の日本農民組合の講演会で検束され一時間半ほど留置される 
1926 大正15
昭和元年
38 4月 トラホーム悪化、失明状態となる 
1926 大正15
昭和元年
38 5月 安部磯雄、末弘厳太郎らと東京学生消費組合を設立 
1926 大正15
昭和元年
38 6月 新潟県北蒲原郡木崎村の小作争議激化し、組合側の作った無産農民小学校の校長に推さる 
1926 大正15
昭和元年
38 10 家族と共に兵庫県武庫郡瓦木村高木東口に移る 
1926 大正15
昭和元年
38 11 『神の国運動』を開始 
1926 大正15
昭和元年
38 7月 『神による解放』を警醒社より出版 
1926 大正15
昭和元年
38 12 『暗中隻語』を春秋社より出版 
1927 昭和2年 39 2月 自宅で農民福音学校を一ヶ月間開催金融恐慌起こる
普選最初の府県会議員選挙
高倉徳太郎『福音的基督教』刊行
1927 昭和2年 39 4月 江東消費組合を設立 
1927 昭和2年 39 8月 軽井沢で百万人救霊運動協議会開催 
1927 昭和2年 39 10 『キリスト山上の垂訓』を日曜世界社より出版 
1928 昭和3年 40 6月 庶民のための金融機関として中ノ郷質庫信用組合認可される最初の衆議院選挙、無産政党8名当選、日本共産党員大検挙(三・一五事件)
労農党、日本労組評議会など結社禁止
基督教連盟、社会信条を発表
1928 昭和3年 40 7月 全国伝道に出る 
1928 昭和3年 40 10 全国非戦同盟を作る 
1928 昭和3年 40 11 満洲伝道に黒田四郎と出発 
1929 昭和4年 41 7月 東京市長堀切善次郎より社会局長就任を懇請されたが辞退、嘱託となる宣教70年記念大会開く
教化総動員運動開始
世界大恐慌起こる
1929 昭和4年 41 11 宣教開始七十年記念・神の国運動宣言・信徒大会を日比谷公会堂で開催 
1929 昭和4年 41 11 瓦木村より東京市外松沢村にふたたび移転 
1929 昭和4年 41 5月 『殉教の血を承継ぐもの』を日曜世界社より出版 
1929 昭和4年 41 8月 『神による新生』を福音書館より出版 
1930 昭和5年 42 1月 肺炎から腎臓炎を併発、自宅で静養全国大衆党創立
失業問題深刻化す
大豊作で米価大暴落、農村の危機急迫
基督教学生社会主義運動(SCM)起こる
1930 昭和5年 42 5月 東京市社会局嘱託を辞す 
1930 昭和5年 42 7月 中国伝道に出発、8月帰国 
1930 昭和5年 42 6月 『神に就いての瞑想』を教文館より出版 
1931 昭和6年 43 1月 中国伝道に出発 
1931 昭和6年 43 7月 カナダのトロントで開催の世界YMCA大会の招きで出発、11月帰国 
1931 昭和6年 43 2月 小説『一粒の麦』を講談社より出版 
1931 昭和6年 43 6月 『十字架に就ての瞑想』を教文館より出版 
1931 昭和6年 43 10 『神と永遠への思慕』を新生社より出版 
1932 昭和7年 44 3月 台湾伝道に黒田四郎と出発 
1932 昭和7年 44 1214 宮崎県小林町の集会をもって第一期神の国運動を終わる 
1932 昭和7年 44 6月 『キリストに就ての瞑想』を教文館より出版 
1932 昭和7年 44 10 『神と苦難の克服』を実業之日本社より出版 
1933 昭和8年 45 12 社会大衆党大会において顧問に推薦される日本、国際連盟脱退
国民精神作興運動起こる
ドイツにヒトラー内閣誕生
ドイツでニーメラーらを中心として牧師緊急同盟結成され、ドイツ的キリスト者に対抗
1933 昭和8年 45 1月 『農村社会事業』を日本評論社より出版 
1934 昭和9年 46 2月 フィリピン基督教連盟の招きで伝道に出発 3月帰朝 
1934 昭和9年 46 3月 『聖霊に就ての瞑想』を教文館より出版 
1934 昭和9年 46 4月 『医療組合論』を産業組合中央会より出版 
1935 昭和10 47 2月 オーストラリア建国百年記念伝道におもむき、7月帰国 
1935 昭和10 47 12 米国基督教連盟の招きで渡米 
1936 昭和11 48 7月 オスローで開催の世界日曜学校連盟大会で講演、この後ノルウェー、スウェーデン、ドイツ、ベルギー、フランス、スイス、パレスチナを巡遊・帰国二・二六事件勃発
1937 昭和12 49    日中戦争勃発
戦時経済体制へ移行
日本基督教連盟「時局に関する宣言」「支那事変に関する声明」を発表
1938 昭和13 50 4月 財団法人『雲柱社』設立国家総動員法公布
メーデー禁止
産業報国運動起こる
1938 昭和13 50 5月 満洲伝道のため神戸を出発 
1938 昭和13 50 11 印度マドラスにおける世界宣教大会に出発、1939年3月帰国 
1938 昭和13 50 5月 『神と贖罪愛の感激』を日曜世界社より出版 
1939 昭和14 51    アメリカ日米通商条約廃棄
第二次欧州大戦勃発
宗教団体法成立
1940 昭和15 52 4月 東京学生消費組合、当局の圧迫により解散労働総同盟をはじめとし、労働組合解散
救世軍幹部憲兵隊の捜索を受け「平和の福音」紙型没収、8月解散、救世団となる
紀元二千六百年奉祝全国基督教信徒大会で(青山学院)プロテスタント各派合同を声明
1940 昭和15 52 5月 満州伝道のため出発、6月帰京 
1940 昭和15 52 8月 松沢教会で『エレミヤ哀歌に学ぶ』を説教、反戦運動嫌疑で渋谷憲兵隊に拘引 
1940 昭和15 52 10 『雲の柱』廃刊 
1940 昭和15 52 4月 『産業組合の本質とその進路』を協同組合新聞社より出版 
1941 昭和16 53 4月 キリスト教平和使節団の一員としてアメリカに出発、8月帰国基督教連盟、米国へ親善使節派遣
日本基督教団成立(6月)
太平洋戦争勃発(12月)
1942 昭和17 54 8月 満州各地に伝道聖教会、きよめ教会の牧師、信徒に弾圧
1943 昭和18 55 1月 『宇宙目的論』の著述に精進 
1943 昭和18 55 5月27 反戦思想、社会主義思想の理由により神戸相生橋署に留置 
1943 昭和18 55 11月3日 反戦論的行為ありと東京憲兵隊本部の取り調べを受け、公的な宗教運動困難となる 
1944 昭和19 56 5月 イエスの友会機関紙『火の柱』終刊 
1944 昭和19 56 10 中国に宗教使節として出発、1945年2月帰国 
1945 昭和20 57 8月 東久邇宮内閣参与となるポツダム宣言受諾(8月14日)
終戦詔勅放送(8月15日)
日本社会党結成
1945 昭和20 57 8月 国民総懺悔運動に賛成し、そのための活動をする 
1945 昭和20 57 11月2日 日比谷公会堂の日本社会党結党式に『社会党万歳』の音頭をとる 
1945 昭和20 57 11 日本協同組合同盟を組織、会長となる 
1946 昭和21 58 3月 貴族院議員に勅選されたが、1944年の中国における言動の責任を問われ登院停止天皇神格否定の詔書公布
日本国憲法公布
日本労働総同盟結成
1946 昭和21 58 4月 『キリスト新聞』創刊 
1946 昭和21 58 6月 新日本建設キリスト運動を宣言、講師となる 
1947 昭和22 59 7月 全国農民組合長に推される 
1947 昭和22 59 11 『新協同組合要論』を日本協同組合同盟より出版 
1949 昭和24 61 3月 新日本建設キリスト運動終わる
全国伝道の決心者三万名を超える
 
1949 昭和24 61 12 世界宣教協会及び世界基督教教育者協議会特別講師としてイギリスへ出発
西ドイツ、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーを回り、アメリカをへて1950年12月帰国
 
1950 昭和25 62    朝鮮戦争勃発
1952 昭和27 64 6月~7月 沖縄伝道 
1952 昭和27 64 11 世界連邦アジア会議を広島で開き、議長となる 
1953 昭和28 65 1月 ブラジル伝道に出発 6月帰国 
1954 昭和29 66 2月 世界連邦運動副会長に就任 
1954 昭和29 66 7月 世界教会協議会第二回大会に出席のためアメリカに赴き、各地で伝道、10月帰国 
1954 昭和29 66 11 東京で開かれた第二回世界連邦アジア大会議長をつとめる 
1955 昭和30 67 2月 ノーベル平和賞候補者として推薦される 
1955 昭和30 67 10 日本社会党統一大会で社会党顧問に選任される 
1957 昭和32 69 1月 タイ国伝道に出発、2月帰国 
1957 昭和32 69 10 京都で開かれた第三回世界連邦アジア大会で議長をつとめる 
1958 昭和33 70 1月 マラヤで開かれた国際協同組合同盟に日本代表として参加 
1958 昭和33 70 6月 『宇宙の目的』を毎日新聞社より出版 
1958 昭和33 70 7月 『空の鳥に養われて』をキリスト新聞社より出版 
1959 昭和34 71 1月7日 関西伝道を終え、四国へ向かう途中で心筋梗塞拡張症でたおれる。3月自宅に帰り養生 
1960 昭和35 71 4月23 上北沢3丁目の自宅にて午後9時13分召天 

関東大震災と賀川豊彦の記録アーカイブス

ムービー紹介

パネル展 賀川豊彦と関東大震災~ボランティアの始まり~

開催イベントの紹介動画になります。

実行委員会一覧およびリンク先(50音順)

「関東大震災100年事業 賀川豊彦とボランティア」実行委員会 役職者

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